
<河内家菊水丸(かわちや きくすいまる)さん>
昭和38年、八尾市生まれ。昭和59年明治時代に流行し、戦後に滅んだ「新聞詠み」を復活させ、世相・事件を題材にした作品を200作以上発表。この秋から新聞詠み河内音頭家元を返上し、継承者の高齢化が進む古調の河内音頭の保存伝承に専念する。 著書に「音頭ボーイ」「河内家菊水丸の新聞詠み河内音頭・唄う爆弾30連発」などがある。
菊水丸:今日は市長と一緒に70年代の八尾を振り返るわけですが、記録史とかに残っている歴史を振り返る形ではなく、逆に記録に残っていない八尾の身近な話題を掘り起こして楽しく語り合いたいと思います。
さて、70年代に制作された市制施行30周年記念映画「わたくしたちの八尾」を見たわけですが、懐かしいですね。映像の中で八尾特産の菊づくりが写っていましたが、菊水丸の「菊」と縁がありますね。また、市役所も現在と違ってレトロ調で趣があります。確か市役所の横に円形のホールもありましたよね。
市長:ありましたね。昭和20年代に建てられた旧庁舎が平成2年まで使われていました。そして、その横に「市民ホール」というのがありました。近鉄八尾駅前にある文化会館の前身的存在でした。今の市役所は平成6年に現在の庁舎に建て替えました。
市役所周辺の施設については、老朽化する図書館などの建て替えをはじめ、周辺環境に配慮した効果的な活用などそのあり方について現在検討を進めています。
菊水丸:70年代当時、市長は中学生ぐらいと思いますが、当時はどこで遊んでいましたか。
市長:志紀の変電所あたりに大きな池があって、そこでよく釣りをしていました。また、JR久宝寺駅の地下道は、雨が降ったらよく水がたまるので、いかだを作って遊んだりもしていました。
菊水丸:まさに自然アスレチックですね。僕が小学生の頃は、子ども会でよく恩智のキャンプ場や大畑山会館に行きました。
市長:恩智神社近くの青少年キャンプ場はなくなりましたが、同じ恩智に大畑山青少年野外活動センターが今もあります。
菊水丸:ほかにはどんなことをして遊んでいましたか。
市長:大正橋近くの大和川でもよく泳いだりしていましたね。
菊水丸:大和川といえば、今は水質の悪さで全国でも上位でしたよね。
市長:当時はきれいでしたね。しかしその後、だんだん汚くなって水質が全国ワースト1位になってしまいました。でも現在では、地元の皆さんなどのご協力により、何とか1位の座を返上しました。今では鮎も戻ってきています。
菊水丸:70年代の遊びで人々の記憶に残るものといえば、やはりボウリングですよね。市長はボウリングはやっていましたか。
市長:もちろんやっていました。当時のボウリング場は早朝の6時からやっていましたね。
菊水丸:早朝の6時ですか。そんな時間からやってたんですか。
市長:実は朝からだと安いんですよ。現在はマンションが建ってなくなってしまいましたが、当時の国鉄八尾駅から近鉄八尾駅へ向かう途中にあったボウリング場によく行っていましたね。確か、当時は早朝で1ゲーム100円でした。
菊水丸:当時はまさにボウリングブームでしたよね。僕は近鉄八尾駅側に住んでいたので、北本町にあった「パンダ」というボウリング場によく行っていました。市長は、買い物とかはどこでしていましたか。
市長:自宅に近い国鉄八尾駅周辺には大型ショッピングセンターとかはなくて、公設の市場で買い物をしていましたね。
菊水丸:近鉄八尾駅方面での買い物といえば、やっぱりお逮夜市。沢の川通りから大信寺までずらっと露店が並んでいました。現在も続いていますよね。
市長:以前ほどではないですが、今も毎月11日と27日に露店が並びます。昨年には、この伝統のお逮夜市を盛り上げていこうと、地元商店街の人たちと協力して大お逮夜市を開催し、多くの人で賑わいました。
ところで、商店街の周辺に映画館があったのを覚えていますか。当時八尾には映画館が3つありましたよ。
菊水丸:商店街の中と、水道局を北に行ったところ、そして近鉄八尾駅前の3つですよね。映画は当時の娯楽の一つでした。
市長:菊水丸さんといえば「河内音頭」。わたしも地元の地蔵盆のときに、ちょうちんを吊って、音楽を流してみんなで河内音頭を踊っていました。
先ほどの記念映画の最後で、中学3年生の菊水丸さんが、常光寺の盆踊りで音頭を取っている姿が映っていますね。
菊水丸:当時、常光寺の盆踊り風景を撮影に来られたときに、年配の音頭取りに交じって少年が一人歌っていたので、珍しいということで撮ったのでしょうね。もちろん僕は撮影されているのは知りませんでした。この映像のことを知ったのは90年ごろに入ってからでした。
市長:菊水丸さんは大の収集家とお伺いしましたが、八尾のまちで何か残したいものがありますか。
菊水丸:歴史では記録に残るものと残らないものがあります。今日市長とお話した内容は、市制何十周年とか「記録」には残らないものだと思うんですが、こうした何気ない生活のにおいがする内容も残していかなくてはならないと思います。実際に私たちの身近にあった話題だけに愛着や親近感が持て、何年経ってもみんなで共感できると思うんです。「記録」だけではなく、八尾の情景を含め、まちの楽しみとか安らぎなど人々の「記憶」にも残るものを大切にしてほしいですね。
市長:八尾市は昨年に市制施行60周年を迎えました。私も約50年間八尾を見てきて、まちは格段に成長してきたと実感しています。八尾には自然・歴史・文化・産業などいい資源がたくさんあり、まだまだ可能性を秘めているまちです。また、人と人とのつながりが根付いた人情味溢れたまちです。この先何十年後も「あのときの八尾はこんなんだったね」とか「こんなふうにまちが変わってきたね」と実感でき、人から人へ語り継がれ、市民の皆さんの心に残るまちづくりを目指していきます。
菊水丸:八尾は本当にいいまちだと思っています。「心の記憶」を大事にしたまちづくりをこれからも期待しています。
両者:本日は、どうもありがとうございました。
平成21年8月5日