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十一巻 ~河内名所図会を訪ねて その5(教興寺)~

[2011年8月26日]

河内名所図会を訪ねて その5(教興寺)

河内名所図会に描かれた「教興寺」の伽藍

 古墳や寺社などの史跡めぐりだけでなく、体力づくりのハイキングを兼ねて、古い街道など昔の人々が歩いたルートを実感しながら散策する人もいるでしょう。史跡ハイキングのルーツといえるのが、中世以降、盛んになった「河内三太子(かわちさんたいし)」と呼ばれた聖徳太子ゆかりのお寺をめぐる巡礼の旅です。

 太子のお墓がある太子町の叡福寺(えいふくじ)を「上(かみ)の太子」、物部氏との戦いの場となった八尾市の大聖勝軍寺(だいしょうしょうぐんじ)を「下(しも)の太子」、その間にある太子発願で蘇我氏の建立と伝わる羽曳野市の野中寺(やちゅうじ)を「中(なか)の太子」と呼びました。

 江戸時代の史跡ガイドブックともいえる『河内名所図会』にも、叡福寺、大聖勝軍寺、野中寺が紹介されています。叡福寺では、太子のお墓の横穴式石室の中に3つの棺(ひつぎ)があった様子などが詳しく記載されています。また、お寺にあるたくさんの建物や宝物が紹介されていました。

 河内三太子を巡るルートは、この叡福寺を出発点として、日本最古の官道(かんどう)といわれる竹内(たけのうち)街道を西へ進むと、野中寺に着き、東高野街道に道を変えて大和川を渡って大聖勝軍寺に至ります。八尾市内には、大聖勝軍寺のほかに、もう一つの太子ゆかりのお寺である教興寺があります。

 教興寺は、東高野街道沿いのお寺で、物部氏との戦いで太子が陣を置いた場所とされ、戦いの後、太子に近い人物の秦河勝(はたのかわかつ)が建立したと伝えられています。その後、幾度かの戦乱に遭い、『河内名所図会』では、お寺が再興された江戸時代の伽藍(がらん)が描かれています。

【PDFデータ】八尾歴史物語 十一巻~河内名所図会を訪ねて その5(教興寺)~

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