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第7号 八尾の熱い夏

[2016年1月22日]

八尾の熱い夏

「近畿日本鉄道 80年のあゆみ」平成2年10月1日(株)近畿日本鉄道発行

昭和27年(1952年)は、八尾市にとって忘れられない年でした。
 第24回全国高校選抜野球大会、春の甲子園に出場した八尾高校野球部について、当時のスポーツ新聞は次のように書いたといいます。
「投手の木村はチームの大黒柱で、柔軟なフォームで繰り出す変化に富んだピッチングは打者にとって相当な脅威であろう。打力はそれほど爆発力をもっていないが、三番主将の元橋、一塁清水、木村らの長打が期待される」【昭和57年8月15日発行の八尾高野球部史より引用】
 戦前から八尾高校の名声は野球の伝統校として知られていましたが、この時の甲子園出場は20年ぶりだったといいます。戦後の地方自治改革での新しい市制でも初めてのことでした。
 選抜大会をベスト4という好成績で終え、続く夏の甲子園、第34回全国高校野球選手権大会でも、甲子園連続出場を決めた八尾高校野球部を八尾市民が一丸となって応援しました。「力強い大阪府代表」との前評判どおり、八尾高校は盛岡商、松山商、長崎商に勝ち、なんと決勝戦まで進み、兵庫県代表芦屋高校と対決しました。八尾の熱い一塁側アルプス・スタンドの様子を『八尾市史 近代 本文編』から紹介しましょう。
 「八尾高校応援団は四千名、応援会長の脇田市長を先頭に、八尾高校山下校長をはじめとして、(中略)大声援を送った。鳴物ならなんでもよいから持って行けとの応援会長の命令で、市役所のドラムカンや常光寺の半鐘、カネ、タイコ、さらには日蓮宗のタイコまでも持ち込み、応援負けをしてはいかんと大声援であった。市役所も窓口業務の最小限の職員を残して、あとは甲子園へ繰り出すという有様であった」
 試合の内容は、翌日8月21日発行の朝日新聞に次のように掲載されました。
 「芦屋は石本、八尾は元橋とそれぞれのキャプテンが適時打して仲よく1点ずつを奪いあう。スタートから好守に援けられた木村︱植村の渡り合いもまず互角で、正に優勝戦にふさわしい本大会随一の熱戦をくりひろげたが、戦機熟した五回無死満塁という絶好機を失った八尾は…」結果1-4で敗れて準優勝で熱い夏が終わりました。
 その後、木村投手は早稲田大学に入学、東京六大学を経て昭和32年(1957年)に南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)に入団し、新人王を獲得します。彼はこの年、直木賞作家・今東光氏とともに第1回八尾市文化表彰も受賞しました。
 八尾高校野球部は昭和34年(1959年)、第41回全国高校野球選手権大会でも甲子園出場を果たし、準決勝まで勝ち進み、再び八尾市内を熱狂させてくれました。この年、八尾高校野球部は団体として初めて八尾市文化表彰を受けました。
 八尾高校の甲子園出場に関する写真やエピソードなどの情報をお持ちの人は、魅力創造室までご一報ください。



写真:昭和27年夏期大阪大会で優勝旗授与を受ける八尾高元橋主将(藤井寺球場にて)

※写真提供:八尾高校同窓会事務局

【PDFデータ】八尾魅力発見! 第7号 八尾の熱い夏

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記事の掲載後に寄せられたお声について

・ 八尾高校が甲子園に出場したことがあることは、なんとなく聞いていたが詳しいことを知らなかった。

・ 八尾市は少年野球やソフトボールも盛んなようだが、何か古い伝統みたいなものがあるのではないか。一度調べてもらいたい。

 

 少し、難しい宿題もいただきましたが継続的に調査していきたいと思います。

 本当にありがとうございます。

 これからも、八尾の魅力ある地域資源を随時紹介していきますので、ぜひよろしくお願いします。

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