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平成24年度 八尾市史編纂記念講演会

[2013年5月13日]

平成24年度 八尾市史編纂記念講演会記録

八尾市史編纂記念講演会




 新版八尾市史編纂のスタートを記念して、平成24年10月14日(日)に開催した記念講演会の内容についてご紹介します。
 講師には、市史編纂委員長で京都教育大学名誉教授の和田 萃(あつむ)先生をお迎えして、八尾ゆかりの古代氏族「物部(もののべ)氏」をテーマに大和王権の中枢を掌握していた物部氏の興亡について語っていただきました。

記念講演会の概要 「河内・大和の物部氏-その興亡-」

  1. 新版八尾市史について
     昭和33年に八尾市史が、昭和35年には史料編が、また昭和58年に近代編が刊行され、活用されてきました。それから30年が経過し、新しい発見や研究成果が蓄積されてきたため新版八尾市史の編纂が始まりました。八尾市が新しい文化都市に変わっていく中で市史の果たす役割は大きく、市民の方にも是非関心を持っていただきたいと思います。
     編纂は、平成23年から平成34年までの12年間で行います。考古、古代、中世、近世、そして近現代の他建築、民俗、美術の分野を網羅しており、平成28年度以降、各部会の資料編を刊行し、その後、通史編を出すことになっています。また、歴史に興味持っていただけるようなわかりやすい冊子も検討しています。

  2. 大和と河内の類似性
     今回の市史は、中河内・河内といった広い視野で捉えたいと考えています。特に考古、古代、中世の分野は、市域だけでは全容を捉えることが出来ません。また、大和と河内は共通する地名も多く、強い結び付きがあると考えています。例えば、奈良に磯城郡があり、河内にも志紀郡がありました。それから八尾市には恩智神社がありますが、天理にも倭恩智神社があります。

  3. 物部氏の興亡
     物部氏は、ヤマト王権の武人集団です。天理市の石上神宮付近を本拠としていたので、石上朝臣と呼ばれるようになりました。物部大連守屋の父である尾輿が、欽明13年(552)10月に仏教受容の可否を巡って蘇我大臣稲目宿禰と対立し、用明天皇崩御後の皇位継承争いで、守屋が蘇我馬子や聖徳太子の軍と戦い敗れました。この時、物部の本宗は滅亡しますが、本宗以外の物部氏や矢作氏などの系譜は残ります。
     物部氏の本拠地である大和の布留では、建物群、鞴の羽口や鉄滓等が見つかっていることから5世紀代に鍛冶や金属精錬、馬の飼育等を行っていたようです。同じ頃、河内の志紀の大県には伽耶や百済から渡来した人々が住んでいました。おそらくそれが要因で、布留川上流域を本拠としていた物部氏が、5世紀後半段階に河内の渡来工人を支配下に置いて、河内と大和で製鉄や馬の飼育を行っていたと想像できます。そして守屋の段階で、本拠地を八尾に移したと考えています。

  4. おわりに
     ヤマト王権の有力豪族の中で、最初に拠点を河内に移したのは物部氏でした。柏原の大県から大和川の流れに沿って、最終的に八尾に本拠を持ったのです。それは交通の要所であったことが大きいでしょう。物部氏については、いろいろ考える必要があります。大和と河内は、大和川で一体となった世界だという視点を持ち、保守的なイメージだった物部氏が、渡来人と接触するなどかなり進歩的だったことに着目すると新たな物部氏像を描けるのではないかと思います。
     これから調査が進んでいきますが、市民の皆さんにもご協力いただき、新しい八尾市史が豊かな良いものになればと思います。

記念講演会概要

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