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第14号 お逮夜市(たいやいち)

[2016年1月22日]

第14号 お逮夜市(たいやいち)

昭和28年10月号の文藝春秋(ぶんげいしゅんじゅう)に、今東光(こんとうこう)氏が次のような文章を記しています。『今年の3月3日のお節句は、風もない静かな日で、ほのぼのと霞(かすみ)さえ生駒山脈にたちこめる春昼(しゅんちゅう)、轟音とともに八尾御坊が崩壊した。河内平野の四方から顧望すると、巨大な堂宇(どうう)が空に屹立(きつりつ)する。はじめて住職として任命された天台院に赴任して来たときに、この八尾御坊をはるかに遠望して、さすがに佛教の古都に来たような気がした。』
 この文章を読むと、この年の「お逮夜市」はどうなったのだろうかと疑問が浮かびます。崩壊したと記されている八尾御坊とは大信寺のことで、当時は大信寺から久宝寺御坊顕証寺にかけての沿道に露店が立ち並ぶ「お逮夜市」が開かれていました。衣類や食料品から農機具、苗物まで何でもそろっていた市は、さながら現在のホームセンターのような存在だったのかもしれません。
 しかし、この市の起源は意外にもあいまいで、毎月11日と27日に開かれていた理由も親鸞(しんらん)上人の命日の前日にあたるといわれていますが、11日が誰の命日なのかは不明のようです。
 同様の市が幕末にも開かれていたことを、八尾ゆかりの国学者で歌人の伴林光平(ともばやしみつひら)が記しているという研究もあり、これは八尾の地蔵市を記載している『河内名所図会(ずえ)』と一致しますが、そこに「お逮夜市」の記述はないといいます。
 明治45年1月10日付の朝日新聞には、『八尾町より久宝寺村まで七、八町間、軒といわず、田圃(たんぼ)といわず、大阪、堺、奈良、京都あたりの諸商人等が数千軒の露店を出して市をたてるを例とす。わけても一月十一日は初市と称し、今年は旧冬稲作の豊年を当て込み盛大に行う筈(はず)なりと』とあり、昭和の形にずいぶん近づいてきます。
 「お逮夜市」は、八尾ファミリーロード商店街で現在も形を変えながら続いています。昔の市を想像しながら、まち歩きを楽しんでみてはいかがでしょうか。
 お逮夜市の起源に関する情報をお持ちの人は魅力創造室までご一報ください。

※写真:出典「シャモとレンコン畑 日本の原風景 河内」(田中幸太郎著 光琳社出版)

【PDFデータ】八尾魅力発見! 第14号 お逮夜市(たいやいち)

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