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第16号 久宝寺緑地の歴史

[2016年1月22日]

第16号 久宝寺緑地の歴史

 昭和に入り、日本における緑地の概念は「緑豊かな自然の地」として認識されるようになったそうですが、昭和12年の日中戦争を契機に緑地設置の目的が変化しました。昭和16年に決定された「大阪緑地計画」では『国際情勢の急激なる変移に伴い、(中略)放射環状緑地帯の要所は、防空大緑地として急設を見る』とされ、空襲時の避難場所として、また、延焼を防ぐなどの役割として服部・鶴見・久宝寺・大泉の4つが防空大緑地に指定されました。久宝寺緑地指定範囲の約40万坪内で生活していた久宝寺村の住人は、突然通知された土地の買い上げに驚いたといいます。

 戦後、買い上げられた土地はいったん所有者に返還されますが、周辺地域が市街地化され、無秩序な建設が進み、地価の高騰の影響を受ける中で、土地の売却を希望する所有者たちからの緑地解除を希望する声が多かったと、『八尾市史(本文編)』に記載されています。そのような中、緑地保存は重要な施策として位置付けられ、大阪市との行政協力課題とされたというのが、昭和36年ごろの状況でした。

 その後、昭和39年の中央環状線の建設に伴い、道路部分を緑地区域から除き、緑地面積を変更した後、再度用地買収を開始し、昭和42年に本格的造成工事に着手しました。昭和46年3月に陸上競技場が完成、同年6月にはプールが完成するなど、次第に現在の久宝寺緑地へと整備されていきました。

 平成9年10月には第52回国民体育大会のソフトボール競技(青年女子の部)が開催され、翌月には皇太子と同妃殿下をお迎えして全国身体障害者スポーツ大会「ふれ愛ピック大阪」も開催されました。

 現在の久宝寺緑地では「シャクヤク園」が人気を集め、花の見所としても充実しており、また平成24年度からは、八尾河内音頭まつりの開催場所になるなど、多彩な魅力を有する緑地公園として親しまれています。

 このような歴史を知ると、先人の努力の結晶である緑地の大切さを次代に伝えていく必要性をあらためて感じます。

 久宝寺緑地の歴史に関する情報をお持ちの人は、魅力創造室までご一報ください。

※参考文献『戦争の記憶』(平成26年3月八尾市発行)

八尾魅力発見! 第16号 久宝寺緑地の歴史

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