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平成26年度

[2015年8月26日]

現地調査報告会

 平成27年3月25日(水)に八尾市文化会館(プリズムホール)で開催した、市史編纂専門部会(近世部会)の現地調査報告会について、ご紹介します。この報告会は、市史編纂の取り組みの成果を見ていただくために開催しています。
 今回は、「古文書が語る江戸時代の八尾郷今井村」をテーマに報告をしていただきました。

報告1「村明細帳からみた江戸時代の今井村」 調査担当者:絹川紘平さん

 今井村は、現在の南本町4丁目付近ですが、1760(宝暦10)年の「村明細帳」によると、村高は364石4斗9升3合、耕地面積は23町5反22歩で田・畑がほぼ半々でした。家数は49世帯、人口は201人です。旱魃(かんばつ)や水害のときの楠根川と田畑の様子や、年貢米の輸送については八尾浜まで歩行持(人力)、そこから大坂京橋まで賃船であったことが書かれています。また、今井村は江戸時代を通じて藩領といわれてきましたが、一時的に大坂城代などによる支配期間が存在していたことも分かりました。

報告2「若江郡八尾郷の年貢輸送について」 調査担当者:古林小百合さん

 1809(文化6)年、西郷・今井・中田村の庄屋が京都代官所に「二条から大坂への御蔵納の変更」を願い出ました。この背景には、二条御蔵納は、村から川船を用い山城国の横大路などで水揚げした後、陸上輸送を行いますが、この陸運が滞りがちになり、経費が増大したことが考えられます。年貢輸送は、村にとって大きな負担であり、願書は費用を減らしたい村の要求の表れでした。しかし、幕末も二条に米を運んでいることから、この要求は認められなかったことが分かります。

報告3「寛政期の村落行政」 調査担当者:松本充弘さん

 1792(寛政4)年2月の勘定組頭らの廻村と同時期に、今井村など八尾郷の村々の庄屋から京都代官所へ提出されたのが「農業一件願書」です。史料は「下書」ですが、年貢収取の強化がなされることを予期した村々が百姓経営の改善を願い出たものと考えられます。肥料の価格高騰と質の低下によって農作物の収量が減少していることや、農業では経営を維持できず商売渡世に転換する百姓が後を絶たないといったことが述べられ、当該期の農村が置かれていた状況を知ることができます。

河内国若江郡今井村絵図の写真





       

藪田ゆたかさんの写真









近世部会長の藪田貫(ゆたか)さん
(関西大学教授・市史編纂委員・市史編集委員長)

総括「江戸時代の村の姿」  近世部会長 藪田 貫さん

 江戸時代は、日本人が日本列島の隅々に住んで農業を営みながら、村という住民自治の世界をつくった、地域を治める力の原点となる時代です。ここに展示しました今井村の大きな絵図は、村人たちが日常の生活路である道の普請など、自分たちのために描いて、村というコミュニティのために使われてきたので、今日まで残されてきました。ここにある道は今も使われており、私たちが、江戸時代の名残を持つ地域社会の中で生きていることを物語ります。このような村絵図を見て、住民レベルで、江戸時代の村の名前や地名を復活し、それを生かした町づくりにつなげていくことを提案したいと思います。

八尾は大坂夏の陣の戦場になって焼けてしまい、それを乗り越えて復興してきました。地震や洪水もありましたが、みんなで八尾を復興させてきました。現在、自分たちで自分たちの地域を立て直していこうという動きが、全国各地で出ていますが、その原点は江戸時代の村と町です。

今回の絵図などは、市史編纂のために史料を集めるなかで再発見されたものです。ないものは求めても仕方がありません。しかし、あるものから新しいものをつくることは出来ます。残ったものを大事にし、消えていくものは新たに記録化して残していきましょう。そうすることで、八尾はもっと歴史の豊かな町になっていき、八尾の町づくりにつながると思います。

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