ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

講(顧)念仏踊り

[2018年1月26日]

ID:14242

ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

講(顧)念仏踊り

講(顧)念仏踊りとは?

 講念仏踊りは、大阪府八尾市の志紀地域一帯に伝承されていたもので、現在、曙川東地区で伝承されている踊りのこと。講念仏踊りや、顧念仏踊りなどとも言われます。

 宝永元年(1704)2月に、大和川の付替え工事が着手され、同年10月に大工事が完成しました。付替えの陣頭指揮を執った、東大阪の総代庄屋「中甚平さん」については、知られていますが、「講(顧)念佛踊り」の主人公、志紀郡の総代庄屋の『西村市郎右衛門さん』に関しては、全く文献等もなく殆ど知られていません。

 田井中郷土史や曙川東地区講念佛踊り保存子ども教室によれば、由来は次のとおりです。

 

講(顧)念佛踊りの由来

◆西村市郎右衛門さん

 宝永元年(1704)10月に柏原から境浦へと大和川が付替えられました。そのお陰で、旧川筋の村々は永年にわたって苦しんだ水害からようやく免れることができました。しかし、その代わりに水不足が宿命的なものとなりました。

 とりわけ正徳4年(1714)、河内平野に一ヶ月にわたるかんばつが続き、用水がことごとく涸れ、旧大和川筋にあたる弓削村や田井中村も稲苗は枯死寸前でした。そして、来るべく収穫の秋を楽しむ生活の希望を失っていました。そこで、村人は必死の思いで奔走し、水路の新設をお上(幕府)に願い出ましたが、幕府はこれを許しませんでした。

  このとき奮然として決意したのが、弓削郡の庄屋「西村市郎右衛門」でした。市郎右衛門は、毎日のように新大和川堤にでて、「せめてどこでもいいから樋を切れば、百姓たちがどれだけ喜ぶだろう」と、秘かに考えていました。そこで大坂に赴き、堤奉行大久保甚兵衛に上申しますが、思うように捗りませんでした。3日のうちに雨が降らなければ農民の命が危ない。24ヵ村の庄屋は柏原の会所に集って「市郎右衛門さんが明日も帰ってこなかったら独断で樋を切ろう」という、切羽詰ったところまできていました。

 その夜半、市郎右衛門は悄然として自宅に帰り、田井中村、柏原村の両庄屋を呼び、上申の不首尾を告げ、このうえは法をまげてでも決行する意向を話しました。二人の庄屋は行動を共にすることを申し出ますが、ガンとして聞き入れませんでした。

 翌日の正午、お寺に招集された農民は、市郎右衛門の「今夜青地と井出口の樋が切られることになった。みんな抜かりなく手筈を整えるように」という言葉に我が耳を疑いました。市郎右衛門の真意を知らない村人は、歓喜して小躍りして喝采するのでした。

  市郎右衛門の指揮のもとに、喜びに沸く村人の威勢のよい働きで、その夜のうちに、青地と井出口の堤防は切り開かれ、樋がつくられました。大和川の水は、了意川(平野川)に注がれ、にこぶ(みこぶ)川に通じて、弓削、田井中、太田など24ヵ村の稲田を満たしていきました。

  市郎右衛門の勇気と決断が多くの農民の命を救ったのでした。しかし、時の奉行は「お上を恐れぬ独断行為である」としてそれを許さず、捕らえられ大坂城で打首となりました。そして、一家断絶、家財はことごとく没収となりました。

 

◆     講念佛踊り

  村人の犠牲となって散った悲しみは深く、24ヵ村あげて市郎右衛門のために、追福を祈る読経の声は戸毎に聞こえ、絶えることはありませんでした。

  折しも暮れ近い夏の黄昏を、通りがかった一人の行脚僧が茶を所望し、ある家に立ち寄り、この有り様について村人に尋ねました。そして「もう盆も近いのだから、全村一緒に市郎右衛門の霊を供養する方がいい。」と云って、精霊追福のために「講念佛踊り」という一手を教えてくれました。これが今に伝わる「講念佛踊り」であると云われています。

  しかし、時の移り変わりの中で、農村を中心とした地域社会の変化に伴い、大正期になると講念佛踊りも中絶を余儀なくする村々があらわれました。そこで志紀村弓削地区では、市郎右衛門の功績を子孫に伝えるための記念碑の建立を思い立ち、大正5年5月に、西村市郎右衛門頌徳碑が建てられました。現在、JR志紀駅南の国道25号と外環状線の交差するところに碑があります。

 田井中地区では、昭和8年(1933)まで続きました。その後、途絶えていましたが昭和60年頃に志紀小学校高学年の田井中の児童を対象に、約50年前に踊りを体験されている地域の長老に指導を願い、踊りの伝承を図りました。数年間復活しましたが、今では途絶えてしまい、鉦や太鼓は現在も田井中会館に大切に保管されています。

   「大和川付替え300周年」を契機に、市史関係者の声掛けと熱意に賛同し、曙川東地区福祉委員会の青少年部会が中心となり、地域の伝統文化を後世に伝承していくために曙川東地区「講念佛踊り保存子ども教室」が開設されました。

  文化庁の委嘱機関である「財団法人伝統文化活性化国民協会」の認可を受けて鉦や太鼓を購入。地域の子どもたちを中心に、大人の協力も得て、現在20数名の参加で隔週の土曜日等に曙川東小学校で練習をし、いろいろなイベント等で発表披露がされています。

 

講(顧)念仏踊り

講(顧)念仏踊りの様子 その1


平成24年3月11日の子どもフェスティバルで発表しました。

講(顧)念仏踊りの様子 その2


平成24年3月4日(日)開催の「第27回曙川文化センターまつり」に特別出演しました。

講(顧)念仏踊りの様子 その3



平成23年9月25日(日)、曙川コミュニティセンターで開催の「曙川再発見」事業での踊り披露。

「曙川東地区講念佛踊り」が内閣府の表彰を受けました。

「曙川東地区講念仏踊り」が内閣府の表彰を受けました。(平成23年11月22日)

 

 曙川東地区で、伝承文化である講念仏踊り保存に取り組む「曙川東地区講念佛踊り保存子ども教室」が、内閣府の平成23年度「子ども若者育成・子育て支援活動事例紹介事業」に選ばれました。

 この、子ども支援活動紹介事業は、子ども・若者を育成支援する活動や子育てと子育てを担う家族を支援する活動を広く紹介することにより、同様の活動を行っているものや、これから行おうとするものの参考に供すること、を目的に実施されているもので、内閣府における選考委員会の審査を踏まえ受章者が決定され、平成23年11月22日に蓮舫国務大臣内閣府特命担当大臣から表彰されました。

 本年度は、子ども・若者を育成支援する活動で18件、子育てと子育てを担う家族を支援する活動で11件が表彰されました。

 「曙川東地区講念仏踊り保存子ども教室」は、子ども・若者を育成支援する活動部門での受賞となりました。受賞の証として、「チャイルド・ユースサポート章」を賞する書状と、記念の楯の授与がありました。

 なお、受賞の理由は、「およそ300年前から地域に伝承され、時代の流れとともに途絶えてしまった講念仏踊りを、子どもや地域の力で復活、存続させるための活動に取り組み、伝統文化の継承、地域の活性化に貢献している。」となっています。

 皆様、おめでとうございます。

 

「曙川東地区講念仏踊り」が内閣府の表彰を受けました その1



蓮舫国務大臣内閣府特命担当大臣からいただいた「チャイルド・ユースサポート章」を賞する書状です。

「曙川東地区講念仏踊り」が内閣府の表彰を受けました その2


いただいた「チャイルド・ユースサポート章」の楯です。

お問い合わせ

八尾市人権文化ふれあい部曙川出張所(曙川コミュニティセンター)

電話: 072-922-3456

ファックス: 072-993-9527

電話番号のかけ間違いにご注意ください!

お問い合わせフォーム

ご意見をお聞かせください

  • このページは役に立ちましたか?

  • このページは見つけやすかったですか?