[2021年3月11日]
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大阪を代表する盆踊りである「河内音頭」は、「洋楽と浪花節が融合した語り芸」とも言われており、決まった楽譜や歌詞がない中で、即興で読み上げる音頭取りの妙と、他の盆踊りでは、類を見ないエレキギターやシンセサイザーなど洋楽を用いた演奏が合わさった音楽性豊かな語り芸として、多くの人に親しまれています。
現代の河内音頭のルーツは、河内の北部で歌われていた『交野節』をアレンジした歌亀節が祖形と言われており、これに昭和20年代から浪曲の節が取り入れられ、全国的に知られるようになりました。 その後、昭和30年代に入ると、ギター等を取り入れた浪曲音頭のレコード化(鉄砲節で有名)や、エレキギターやシンセサイザーも加わり、ビートのきいたリズム音楽の影響もあり、アップテンポな音頭に変化し、音楽性豊かな語り物芸として成長、活躍の場を広げていきました。
音頭に合わせた踊りも様々な形があり、ゆったりとして流れるような動きの「手踊り」と、活発で躍動的な「マメカチ踊り」の2種の基本形をはじめ、その総数は100を超えると言われています。
近年では、河内近辺だけではなく、東京都内で大規模な河内音頭の盆踊りが開かれるなど、河内音頭は大きな広がりを見せています。
河内音頭の本場である八尾市では、夏には、市内の様々な所で櫓が立ち、河内音頭が楽しまれ、八尾河内音頭まつりが盛大に開催されることが、恒例行事になっています。
平成29年9月には、第40回八尾河内音頭まつりにおいて、これまで八尾市内のさまざまな流派で腕の振りや足の運びなど少しずつ違う形で踊られていた「手踊り」の動きを一つの型に統一した「八尾正調河内音頭踊り」を2872人で踊り、「伝統的な衣装を着用すること」、「5分間参加者全員が同じ踊りを踊ること」を要件とする世界記録を樹立しました。(令和5年3月現在、世界記録を保持中)
また、令和に入っても、吹奏楽アレンジによる演奏を行ったり、アメリカ発祥のゴスペルと掛け合わせて八尾の音楽シーンに新たな風を吹き込んだりなど、時代と共に八尾の河内音頭は進化を続けています。
令和5年1月には、東京ドームで行われた「ふるさと祭りin東京2023」にも出演し、青森のねぶた祭や高知のよさこい祭りなどと並び、八尾河内音頭まつりとして出演し、本場八尾河内音頭連盟の音頭取りが晴れの舞台で見事八尾の河内音頭を詠み上げました。
地蔵菩薩を本尊とする寺々の中で、西の横綱に番付されている古刹である常光寺は、奈良時代に聖武天皇の勅願によって当時の名僧行墓が創建したもので、「八尾の地蔵さん」として親しまれています。
常光寺には室町時代に足利義満がこの寺を祈願所として再建する時、歌われた木遺り音頭が原型とし600年の歴史を持つ「八尾の流し」と呼ばれる河内でもっとも古いと言われている音頭が伝えられており、毎年8月23、24日には、この流し節正調河内音頭による地蔵盆踊りが行われています。
この音頭は、しっとりとした情緒あふれた節回しが特徴で、常光寺を事務局とする保存会がつくられています。
八尾市南部から柏原市、藤井寺市にかけて分布する盆踊りで、八尾市内では太田地区で伝承されています。
宝永元年(1704年)、大和川の付け替え工事により流域の村々は、水害からようやく逃れることができましたが、それにより今度はかんばつの被害に見舞われることとなりました。そのため大坂に水路の新設を陳情したが認められず、許可を得ることなく堤防を切り開いて水を流し、弓削村の庄屋であった西村市郎右衛門が大坂城内で打ち首、一家断絶家財没収となりました。その後、西村市郎右衛門を偲んで、農民が田植えをしながら唄ったのが始まりだと言い伝えられています。
この音頭に詳しい伝承はないが、1000年ほど前に今より優雅な振りで踊っていたと言われています。
八尾東部の山沿いに分布していたと言われ、昭和初期までは、恩智から大窪のあたりで音頭がとられていました。現在は15年ほど前に保存会が結成され、天王の森の永楽地蔵前、その他夏祭りなどでも踊られています。
八尾市魅力創造部文化・スポーツ振興課
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