[2011年12月7日]
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飛鳥時代に当時の有力な豪族、物部氏(もののべし)と蘇我氏(そがし)との間で、仏教を巡る争いがあり、八尾はその古戦場となりました。
八尾市西部に位置する跡部地域を中心拠点としていた物部氏(もののべし)の豪族・物部守屋(もののべ の もりや、?~587年)と聖徳太子(574年~622年)・蘇我馬子(そが の うまこ、?~626年)の連合軍との間で戦となりました。
聖徳太子は、戦勝祈願のため四天王を祀り、その加護によって物部守屋(もののべ の もりや)を打ち破ることができたとして、その地に大聖勝軍寺(だいしょうしょうぐんじ、八尾市太子堂3丁目)を建立したといわれています。
戦の中、聖徳太子が苦戦し、物部氏(もののべし)側に攻め込まれ危うくなったときに、そばにあった椋(むく)の木に寄り添うと、その幹が割れて開き、聖徳太子がそこに身をかくまわれて難を逃れ、その後、物部守屋(もののべ の もりや)を打ち滅ぼすことができたという言い伝えがあります。
その椋の木は、「神妙椋(しんみょうむく)」と呼ばれ、現在も大聖勝軍寺(だいしょうしょうぐんじ)境内に祀られています。
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