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史跡高安千塚古墳群の追加指定について

[2021年6月21日]

ID:58251

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史跡高安千塚古墳群の国史跡の追加指定がされました。

 高安千塚古墳群の西方に位置する、高安千塚古墳群と密接な関係を有し、古墳群出現の契機となった全長約62mの前方後円墳である郡川西塚古墳(郡川1丁目:約7,125平方メートル)と、服部川支群の一部(大字服部川:約650平方メートル)が、令和3年6月18日(金)に開催された国の文化審議会文化財分科会の審議・議決を経て、高安千塚古墳群の国史跡の追加指定が文部科学大臣に答申されました。そして、令和3年10月11日(月)に告示され、正式に追加指定になりました。

郡川西塚古墳(郡川1丁目:約7,125平方メートル):全長約62mの前方後円墳です。明治35年(1902)の開墾時に後円部の横穴式石室が開口し、神人歌舞画像鏡や垂飾付耳飾などが出土しました(東京国立博物館所蔵)。その後、石室は破壊されましたが、地元での聞き取り調査により右片袖式の初期横穴式石室と考えられています。墳丘は北に前方部を向けた前方後円墳の形状が良好に残り、墳丘の周囲に盾形の周濠がめぐることが発掘調査で明らかになっています。

服部川支群の一部(大字服部川:約650平方メートル):服部川支群は古墳群の中心支群で古墳が最も集中し、E.S.モースが調査した服部川7号墳や英国人のW・ガウランドが調査した玄室が2つ連なる服部川25号墳(二室塚古墳)など99基の古墳が残されています。今回の追加指定では、支群の東側の、服部川59号墳の墳丘西側が含まれます。服部川59号墳は、直径約15m、高さ約4mの円墳で、全長約7mの右片袖式の横穴式石室があります。さらに、追加指定として、高安山麓を南北に通じる農免農道南端の東に位置する服部川12号墳の一部が含まれます。服部川12号墳は、直径約15m、高さ約4.5mの円墳で、古墳群で初めて外護列石を確認しています。さらに道路を隔てた西側の服部川22号墳一部が含まれます。服部川22号墳は、直径約15m、高さ約2.7mの墳丘や全長約7.6mの右片袖式の横穴式石室はドーム状天井が良好に残っています。

郡川西塚古墳と高安千塚古墳群

郡川西塚古墳(手前)と高安千塚古墳群(山麓部):西から

現在の郡川西塚古墳

現在の郡川西塚古墳:南から

高安千塚古墳群については、下記のページをご参照ください。

https://www.city.yao.osaka.jp/0000046996.html


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八尾市魅力創造部観光・文化財課

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