三四巻 続・河内名所図会を訪ねて(6) 大信寺の建物 その後・後編
江戸時代の八尾別院・大信寺の建物について、前回は、その本堂が移築され、東京都港区の善福寺(ぜんぷくじ)の本堂として利用されていることを紹介しました。

今回は、その善福寺に残る、大信寺から移築されたことを示すものについてお話しします。
本堂中央の屋根の前方に張り出した向拝(こうはい)と呼ばれる部分を支える柱の下部の装飾品「沓巻板(くつまきいた)」と呼ばれる銅板には、江戸時代の本堂再建の際に、この銅板を寄進した人物の名前とその在住地と考えられる「久宝寺村西町(まち)」という文字が刻まれています。

久宝寺村西町は久宝寺寺内町の中にあった町ですが、これは、大信寺がある八尾寺内町だけでなく、久宝寺寺内町にも支援者がいたことを示しています。
さらに、この銅板には、製作場所が「大坂南御堂(みなみみどう)」であると刻まれています。
江戸時代の大坂南御堂は大坂における東本願寺の拠点で、寺院に関する銅製品などを作る職人が多くいました。これらは、善福寺の本堂が大信寺から移築されたことを示す貴重な証拠です。
また、大信寺の建物で移築されたのは本堂だけではなく、山門や鐘楼(しょうろう)などが三重県桑名市の桑名別院・本統寺(ほんとうじ)に運ばれていたことも分かっています。
本統寺も善福寺と同じように太平洋戦争の空襲で焼失し、戦後の復興に合わせて大信寺から移築されたようで、こちらもまた現在にその姿を残しています。
このように、『河内名所図会』に描かれた大信寺の立派な伽藍(がらん)を構成した建物は、場所を変え、今もなお当時の姿を残しているのです。
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