現地調査報告会
平成25年8月11日(日)に高安コミュニティーセンターで開催した、市史編纂専門部会(近世部会)の現地調査報告会についてご紹介します。この報告会は、市史編纂の取り組みの成果を見ていただくために開催しています。
今回は、「古文書が語る江戸時代の楽音寺村」をテーマに報告をしてもらいました。
近世部会長の藪田貫(ゆたか)さん
(関西大学教授・市史編纂委員・市史編集委員長)
総括「村絵図を読む―江戸時代の村落空間―」 近世部会長 藪田 貫さん
歴史を明らかにするものには、埋蔵文化財などのほか古文書(全国約6万ヵ所の村の文書)があります。旧家に伝わる天保3年(1832)の「楽音寺村絵図」は、近世の村が集落、水田、水路、山林を整えた、美しい景観だったことを示しています。また絵図には村境が描かれますが、村境は国境につながります。村の歴史を古文書から明らかにすることは、日本列島の歴史を解明する基礎でもあります。今回、学生達に報告をしてもらいましたが、その意図は自治体史編纂の基礎調査を、歴史を学ぶ若い世代が行っていることを市民の方に知っていただくことにありました。自治体史編纂の役割は、一つ一つの史料を見出し、整理し、後世に伝えることと同時にこれからの日本の歴史を学び、解明していく人材を育てることでもあるのです。
報告1「江戸時代の楽音寺村」 報告者:近世部会調査員 古林小百合さん
楽音寺村は、北高安郡の最北に位置する村で、村高は403石3斗4升、享保8年(1723)以降は、淀藩(稲葉氏)の領地でした。 宝暦10年(1760)及び天保9年(1838)の楽音寺村の「村々様子大概書(様子書)」に村の石高とそれに対する免(税率)が記されており、宝暦から天保にかけて、人口が247人から227人に減少していることがわかります。また、高札場や寺社の数などの記載もあり、当時の村の概要を知ることができます。
報告2「年貢関係文書からみた江戸時代の税金事情」 報告者:近世部会調査員 松本充弘さん
年貢は、村高に対し9月頃の作柄を見て、領主と村の折衝で決められた年貢率により「年貢割付状(年貢免状)」が発行され、村は、年貢の納入に対し責任を持ちます(村請制)。天明6年(1786)の「年貢割付状(年貢免状)」によると、当時の社会情勢(凶作や飢饉など)を反映してか、例年に比べ「当毛引(とうけびき)」の部分が大きくなっています。年貢関係の文書は重要な物として、楽音寺村では「巻物状」にして大切に保存されました。
※「当毛引」・・・今年の年貢免除分
報告3「村人の血判起請文-楽音寺村高札紛失をめぐって-」 報告者:近世部会調査員 中山創太さん
寛延4年(1751)、楽音寺村で高札紛失騒動が起こり、その際に作成されたのが血判起請文です。「領主支配の象徴」として機能していた高札を紛失したとなれば、その管理を担っていた村役人にとって一大事であったに違いありません。一切の関与が無いことを神に誓い、迅速に対応する村人の姿を見出せる本史料は、時代が下るにつれて形式化したという「高札」や「起請文」の意味を考える上で、重要なものです。