三七巻 国史跡 高安千塚古墳群・下 その(3) 高安千塚が造られた時代
前回は、高安千塚(せんづか)古墳群が、中河内を拠点に活躍した有力氏族のお墓であったということをご紹介しました。そこで今回は、高安千塚古墳群が造られた約1500年前の6世紀の出来事などについてご紹介します。

この時代の代表的な出来事として、538年に百済(くだら)から仏教が伝来したことをはじめ、587年に蘇我氏が物部氏を滅ぼしたことや、593年に聖徳太子が政治を行ったことなどが挙げられます。百済からの仏教伝来により、これの受け入れに反対する物部氏と、賛成する蘇我氏との間に政治的な争いが起きました。これにより、物部氏が拠点としていた中河内の八尾、渋川の地は戦いの場になるなど、八尾が歴史の大きな舞台に登場することになります。その後、聖徳太子が政治を行い、中央集権体制が整えられていきます。
6世紀という時代は、百済をはじめとする朝鮮半島の国々から新来の技術や文化、政治制度を受け入れ、古代国家の礎(いしずえ)を築いていった時代であり、中河内は、朝鮮半島の国々をはじめとする海外からの玄関口でした。そして、中河内を拠点とした有力氏族として高安千塚古墳群に葬られた人々は、古代国家形成に大きな役割を果たしたものと考えられます。
平成27年3月10日、高安千塚古墳群は、わが国の歴史を考える上で欠くことのできない遺跡として「国史跡」に指定され、永久に保存されることになりました。八尾の山ろくに眠る古代氏族の奥津城(おくつき)である高安千塚は、わが国の歴史を語る宝であるといえるのです。
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