九巻 河内名所図会を訪ねて その3(顕証寺)

ページID1011446  更新日 令和7年1月30日

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写真:河内名所図会に描かれた「顕証寺」の伽藍

河内名所図会は、山麓(さんろく)の古墳だけでなく、市内のあちこちの寺院を紹介していました。久宝寺寺内町の中核寺院である「顕証寺」も詳しく描かれていました。
名所図会に描かれていた顕証寺の伽藍(がらん)と現在見ることができる建物を比較してみましょう。


伽藍の中央には、東向きの本堂があり、その後ろに庫裏(くり)があります。外側正面には表門と両脇の築地塀(ついぢべい)、北側には長屋門(ながやもん)と東西に長屋が続きます。そして、本堂と長屋を結ぶ渡廊(わたろう)があります。これらは、ほとんど現在の姿と変わりません。近年、長屋門と東西の長屋、渡廊は、江戸時代の姿に修理されています。

一方で、残っていない建物もあります。長屋門から続く北東隅の太鼓楼(たいころう)、その南側の茶所(ちゃどころ)という建物はありません。南西隅には西本願寺から移された含月亭(がんげつてい)という茶室がありました。

また、本堂南側の渡り廊下の先には、大玄関のある入母屋(いりもや)造りの建物が見えます。この建物は、近年まで本堂の南横にあった対面所と考えられます。ただ、名所図会の建物は、写真に残る対面所ほど大きく描かれていません。むしろ、南北の渡り廊下が実際よりも長く誇張して描かれています。

宝永4年(1707年)の大地震で倒壊した本堂は、正徳6年(1716年)に再建されました。この建物が現在の本堂にあたります。近年の調査で棟札(むなふだ)の年代が明らかになった表門は、寛政元年(1789年)の建築で、伽藍再建の最終の建物だったと考えられます。享保元年(1801年)刊行の名所図会は、顕証寺の再建が完了した伽藍の姿を描いていたのです。

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