三巻 古代の交通 下

ページID1011453  更新日 令和7年1月30日

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写真:植松の金比羅燈籠

歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」や弥次さん、喜多さんが面白おかしく旅をする十返舎一九の「東海道中膝栗毛」をご存知だと思いますが、これらを見ても、江戸時代の人々が旅に憧れていたことが分かりますね。

旅をするには、菩提寺(ぼたいじ)や役人、大家が発行する通行手形が必要でしたが、寺社の参詣なら比較的容易に取得できたようです。

当時は寺社縁起や名所図会などの刊行物が広く出回っていましたし、伊勢神宮をはじめとして神社を紹介する御師(おし)や商人、旅芸人による情報も豊富でした。


八尾でも伊勢参りや金毘羅参りが盛んで、伊勢神宮に参拝した記念のおかげ燈籠が大窪に、金毘羅宮に参拝した記念の燈籠が植松、老原、本町、東本町、久宝寺などに残っています。八尾は金毘羅燈籠が多いですが、大坂からの出発地は淀屋橋だったので行きやすかったのかも知れません。

伊勢参りは遷宮(せんぐう)に合わせたおかげ参りが有名です。大窪の燈籠が作られる契機になった文政13年(1830年)のおかげ参りは600万人が参詣したと言われており、このようなときには女性や子どもだけで無断で参る「ぬけまいり」なども行われていました。

しかし、いずれも歓楽地がそばにあり、当時の川柳に「伊勢参り 大神宮にもちょっと寄り」とあるように、湯治や遊びが主であったようです。

明治時代になると、鉄道が旅の主役になります。大阪では明治7年に大阪—神戸間が開通し、明治22年には新橋まで延伸します。同年、大阪鉄道(現在の JR)の八尾駅が作られ、明治41年に国有化されました。また、大正13年には大軌(だいき)鉄道(現在の近鉄)が布施—八尾間を開通し、旅が身近になりました。

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