[2022年10月7日]
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八尾市では、平成30年(2018)2月13日の国史跡の指定以降、史跡整備に向けた発掘調査を進めてきました。ここでは、令和4年度までの発掘調査の成果について、紹介します。なお、発掘調査は終了しており、現地は埋め戻しているため、見学できません。
図面・写真等については添付ファイルをご参照ください。これらの図面・写真は、転載はできません。
平成29年(2017)の発掘調査で、『続日本紀』に記載されている称徳天皇と道鏡が建立した由義寺の塔基壇見つかりました。発見された塔基壇は、大安寺(奈良市)や諸国の国分寺に匹敵する一辺約20mに及ぶ規模であることがわかりました。
その後、八尾市では、平成30年(2018)、令和2年(2020)、令和3年(2021)、そして、令和4年(2022)5月~7月にかけて、4次にわたる発掘調査を実施してきました。これらの調査により、塔基壇の規模や構築に関わる工法や史跡指定地内の状況が確認できました。
令和4年度の塔基壇東側の発掘調査では、由義寺の基壇の下層で前身の基壇(「弓削寺」の可能性)を確認しました。規模の小さな基壇(東西約17m・南北不明)の上に整地をしなおし、一辺約21mの基壇を構築したことがわかりました。
(1)基壇の特徴
基壇の東端を検出しました(写真1)。基壇外装の石材は抜き取られていました。残存高は約0.7mあります。「版築工法」で築成され、層の厚みは、1単位が2cm程度の細砂とシルトを交互につき固めた硬質な層です(写真2)。
(2)階段
基壇の東端から外側に張り出す階段の裏込土の一部を検出しました。基壇の四方にあったとみられます(写真1)。
(3)基壇の規模等
平成30年と令和3年度の調査で、基壇西辺、南辺で基壇外装の抜取溝(凝灰岩切石の破片を含む溝)を検出しています。さらに南辺の溝内部から地覆石の一部を検出し、地覆石の外面距離で一辺21.6m(72尺)に復元できました(図1・1-2)。基壇上部の柱間寸法は、礎石落とし込み穴の位置や基壇規模に近い大安寺(奈良市)を参考に14 尺(4.2m)等間で復元できます(図1)。
(4)上層基壇の建立時期
765年以降の建築:過去の調査で基壇中央の版築層から神功開寶(765年初鋳)や基壇周辺から奈良時代後期の軒瓦が出土しています。
(1)基壇土の特徴
版築工法で築盛されています。層の厚みは、1単位が2~10cm、シルトと粗砂の互層で、一部、シルトと粗砂を混ぜ合わせています。上層基壇の版築層に対して軟質な作りです(写真3-1・2)。基壇は高さ1.1mが残存していました(図2)。
(2)掘込地業
基壇の下部において、基壇の基礎を強固にするための掘込地業の痕跡を確認しました。旧地表の粗砂層を皿状に掘り込んでいます。深さ0.25mを測ります。層内には、長さ20~50cmの石材が含まれていました(写真4-1・2・3)。
(3)基壇外装材の検出
基壇裾部より外側で、残存状態の良い凝灰岩切石を複数検出した(写真5-1・2)。いずれも基壇側面から外され、原位置を留めていませんが、地覆石と考えられる切り欠き痕跡がある石材が認められました。凝灰岩切石の検出状況から、基壇は「切石積」もしくは「壇正積(だんじょうづみ)基壇」と考えられます。
(4)下層基壇の規模
平成30年・令和4年度の調査において、下層基壇の掘込地業を東と西、北で検出しており、その内側を結ぶと、東西17.1m(57尺)に復元できます(図1-2)。南北幅は、南辺の肩が検出しておらず確定していません。東西幅と同一であれば塔基壇が、短い場合は金堂基壇が想定されます(図1)。
(5)下層基壇の建立時期:奈良時代
考古資料:基壇版築層から8世紀代の平瓦が出土しています。
文献史料:由義寺(弓削寺)に関する「続日本紀」の記事から、由義寺の前身の弓削寺である可能性
(6)下層基壇の評価
765年には「由義寺」の前身寺院である「弓削寺」の建物(下層基壇)が建っていました。そして、765年以降、西京(平城京の西にあたる宮都)の造営に伴って、下層基壇建物を解体し、その上に由義寺の塔(上層基壇)が建築され、770年に完成しました。
基壇建物の構築過程において、建物建築後の最終段階に基壇の表面を石材で飾ることから、下層基壇にも建物が建っていたと考えられます。さらに、凝灰岩製の基壇であることから、河内六寺(柏原市にある古代寺院六つの寺)に匹敵する格式の高い寺院であった可能性があります。
建築された建物を撤去し、その基壇の基礎を活かして、大規模な整地を行ったのち、その上に規模の大きな基壇を構築したことがわかる貴重な例といえます。
(1)令和2年度に塔以外の建物を確認するため、塔周辺で調査を行ったが、回廊や門など明確な建物遺構は残存していませんでした。
(2)史跡指定地北東隅の調査で、奈良時代後期の瓦だまりを検出しました(写真6)。瓦だまり内から、凝灰岩の基壇外装材が出土しています(写真7)。
(3)瓦だまりから北側は、締まりのよい整地層が広がり、付近に建物が存在した可能性があります。
(4)令和3年度に瓦だまりの範囲確認調査を行い、東西約8m以上を確認しました(写真8)。
令和4年度の史跡由義寺跡の調査成果資料
八尾市魅力創造部観光・文化財課
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ファックス: 072-924-3995
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