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十七巻 ~文書や発掘調査から探る地震(二)~

[2012年5月1日]

文書や発掘調査から探る地震(二)

 
 南海地震でも最大規模といわれるのが宝永4年(1707年)の宝永地震で、死者は5千人余りと記録にありますが、実際は2万人以上と考えられています。

 当時、河南(かなん)町大ヶ塚に住んでいた河内屋が残した日記には、八尾の状況が次のように記されています。「十月四日昼八ツ時分(午後2時ごろ)大地震(略)久宝寺の本堂(顕証寺)の御座間(ござのま)が崩れた。久宝寺の七百軒の在家のうち三百余りが崩れ、無事であった家は六、七十軒、その他は歪んでいる。八尾の御坊(大信寺)の台所が崩れ、火事で焼けた。慈願寺とカヤホリノ寺(恵光寺)はすべて崩れた。弓削(ゆげ)で無事な家は十軒で、六十二軒が崩れ、その他歪んでいる。(略)」。

 また、大阪については「大破言語に尽くし難し」とあり、津波で流された数百の船によって日本橋より西の橋すべてが破壊され、堺筋より西で崩壊した家は幾千軒か分からないと書かれています。わたしたちが住んでいる大阪にも津波による被害があったことは忘れてはならないでしょう。

 安政元年(1854年)11月には安政南海地震が起こりますが、その少し前の6月にも地震があり、久宝寺の旧家に伝わる文書には「六月十一日の二度の大地震によって、潰れた家や半壊の家が多く、困窮した村では修復が行き届かず、住むこともできず、離散するほかありません。」とあり、領主に借金を申し出ています。

 近年では、昭和21年(1946年)に昭和南海地震が起こっており、次の南海地震は近い将来に発生すると推定されています。

 そのほか、八尾での地震記録があるのは、永正7年(1510年)の河内地震で、常光寺の勧進帳に「去る永正七年八月上旬のとき、大地震により常光寺の堂社がことごとく壊れた。」とあり、地震の大きさがうかがえます。

 先人は、わたしたちが想像もできない地震の怖さを記録してくれました。これを活かし、日ごろから災害に備えることが大切です。

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