戦争体験談「祖母から聞いた2つの話」
祖母から聞いた2つの話
1945(昭和20)年4月、八尾市に住んでいた祖母は東大阪市にある女学校に入学しましたが、勉学に励めるわけもなく、薙刀の練習や草取り作業の毎日を過ごしていたそうです。そんな祖母は、私に戦時中の話を2つ教えてくれました。
1つめの話は、祖母が女学校に入学してすぐの4月の話です。3月には大阪大空襲もあり、東大阪でも空襲は激しさを増していました。その日も空襲警報。警報が鳴れば歩いて帰ることになっていたため、友だちと3人で家路を急いでいました。すると、黒い防空ずきんを被った祖母の目前に米軍戦闘機。操縦士の顔が確認できるぐらい、屋根すれすれの低空飛行で迫っていました。「もうあかん。殺される。」そう思った瞬間、戦闘機は突然、機首の方向を変え上昇。祖母たちの目前から消えました。
信じられないような出来事に困惑しながらも、怖さや安堵の入り混じった気持ちを抱え、祖母たちは無言で走りました。家の前には防空壕に入らずに心配していた曽祖母の姿があり、娘の姿をみつけると抱きしめてうれし泣きしたそうです。
結局、3人とも戦時中、この米軍戦闘機のことは誰にも話せませんでした。それは、周囲から「米兵に見逃してもらった非国民」となじられるのが怖かったから、と祖母は教えてくれました。
もう1つの話は、5月に入ってから、B29爆撃機が撃墜され、学校帰りに友達と見に行ったときの話です。そこには散乱した機体と米兵らの遺体、そして遺体に群がる人たちの姿がありました。見ていると、「バチが当たったんや」などと罵詈雑言を浴びせながら、群衆の何人かが遺体を棒で叩いていました。叩いている人たちは、家族が戦死した人なのだろうかと思うと、胸が一杯になり、いたたまれなくなった祖母は、その場から立ち去ったそうです。
今、振り返っても、祖母にとって辛い記憶だったのだろうと思いますし、人の心をむしばむ戦争の怖さを感じます。
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