戦争体験談「満州での生活」山路 せつ
満州での生活
山路 せつ
戦時中、国策として旧満州(中国東北部)へたくさんの日本人が移住をしました。
私は三重県多気郡大台町(旧三瀬谷町)の出身ですが、6歳のとき、父・母・弟の家族4人で旧満州に渡りました。小学校入学の1週間後ぐらいだったと思います。三重県では「裕徳(ゆうとく)開拓団」という名称の開拓団が組織され、たくさんの同じ村の人たちが一緒に中国へ渡ったのを覚えています。自分たちが行った場所として「満州国濱江(ひんこう)省巴彦(はあげん)県」という地名を記憶しています。
旧満州に来てからの生活ですが、父は自分で耕すのではなく、主に現地の中国人が農業するのを監視していたようでした。ただお人好しな性格の父でしたので、現地の人とは関係が良くて、中国人が持ちよった餃子などの家庭料理を一緒に食べた楽しい記憶もあります。妹、弟の2人の兄弟が産まれましたし、私自身も小学校6年生まで日本人だけの学校に通っていました。旧満州が日本よりもかなり寒い、学校が遠いなどの大変なこともありましたが、本土の悲惨な状況はほとんどわからず、食べ物に困ることもなく幸せに暮らせていたように思います。
ただ、そんな生活が一変する出来事が起こりました。それが日本の敗戦でした。中国人を含む周囲の人たちから日本の状況を聞かされ、危ないから日本人みんなで固まって行動した方がよい、となって、しばらく家から離れて生活をしました。次に家に帰ったとき、家の中には柱1本しか残っておらず、何もかもなくなっていました。ソ連兵も攻めてきました。後から自分たち家族と合流した祖父や父はソ連に連れて行かれました。自分はまだ子どもだったので無事でしたが、年頃の女性が性暴力を受けひどい目に合わされているのも見ました。
命の危険があるため、自分たちが住んでいた場所から遠く離れたハルピンにある収容所へ母と兄弟4人の5人で移動することになりました。満員の電車で落ちないように注意しながら向かったことを覚えています。収容所では1年ほど過ごしましたが、ここでの生活は悲惨でした。衛生状況がよくなくて兄弟3人は病気で亡くなりました。収容所内では発疹チフスというシラミによって媒介される病気が流行っており、弟と妹の世話も大変だったことと合わさって、亡くなったときは悲しいという気持ちはほとんどありませんでした。ただ母親が亡くなったときは悲しくて泣きました。母は亡くなる直前まで「1人にしてごめんね」と自分を気遣ってくれており、そんな母の死因は餓死であったと思います。綺麗好きな母は口にすることができないぐらい食事も悲惨でした。主食は「高粱(こうりゃん)」というパサパサの穀物で、本来は馬などの家畜の餌であったと思います。決して美味しいものではなかったです。
こうして私は収容所で1人になってしまいました。たまたま中国人の警察官が子守りできる人を探しているということで、生き延びるのに必死であった私は手を挙げて、収容所を出てその人の家庭に入ることにしました。夫婦そろっていい人であったため助かりましたが、終戦から1年ほど、その家庭に入って半年ほど経ったときに、「裕徳開拓団」が日本に帰ろうとしているようだと教えてもらいました。警察官の人からは「うちの子どもにならないか」と声をかけてもらいましたが、日本に帰りたかった私は1日中泣き続け、その様子を見て根負けした2人から仕方がないと、送り出してもらうことができました。その時に訴えていなければ、私は今でも中国で生活していたのだと思います。
帰国までの道のりも長く苦労しましたが、何とか三重県亀山市まで裕徳開拓団のみんなと一緒に帰ってきて、その後、叔父さん(父親の兄弟)を頼って生活することができました。中学にも行くことができ、2年後にはソ連から戻ってきた父親と再開することもできました。手に職をつけた方がよいという周囲のアドバイスもあり、私は三重県松坂市で美容師になるため住み込みで修行し、結婚を機に大阪・八尾に引っ越しをしました。その後、八尾で美容院を開業し、92歳になった今でも仕事を続けています。
私は日本の敗戦により、ソ連兵の侵攻や中国人の略奪に合い、多くの家族を失うことになりました。辛い思いをしましたが、そもそも武力による力関係が壊れてしまっただけなので仕方がなかったように思います。また、お人好しだった父だけでなく、収容所で「麻花(マーファー)」というお菓子をくれた中国人、日本に戻ってきて世話をしてくれた叔父さん等、たくさんの人の優しさに触れ、自分は恵まれていたのだと思います。戦争により亡くなった人たちを含め、自分より悲惨な境遇の人たちをたくさん見てきました。今の日本で生活できることは幸せだと感じますし、この平和が続いてほしいと思います。
せつさん(前列左から2人め)と父(前列右から2人め)
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