戦争体験談「「グラマン」の来襲」髙萩 太一
「グラマン」の来襲
髙萩 太一
空襲警報のサイレンが鳴り、ラジオから「中部軍管区司令部発表、敵機は尾鷲上空…」との声を耳にするかしないか、すでにアメリカのP-51かグラマン艦載機は、頭上でものすごい轟音の機銃掃射をしていた。「危ない。出たらあかん」との父の声で、私たち親子四人は外の防空壕へ避難することもできず、土間の物陰の地べたに耳をふさいで小さくうつ伏せになって難を逃れた。バリバリバリと音を立てる敵機の機関銃の威力は強大で、屋根瓦を吹き飛ばし、天井板を貫き、もし私たちが被弾すれば即死か重傷を免れない。恐ろしい凶器だ。一機が去るとまたバリバリ、と繰り返し。私たちは機銃掃射の音が消えるのを待った。やっと静かになり、恐る恐る外へ出た。この日は防空壕も何の役にも立たなかった。
軍の命により、垣内南と恩智との境界付近に掩体壕が三ヶ所造成された。近くの恩智北町の東高野街道の西側に、高射砲陣地が設置されるとのことだったが、高射砲の姿は見えなかった。大正飛行場の軍用機を敵機の攻撃から護るため、疎開格納する計画だったが、結局は格納されなかった。壕は厚いコンクリートで造られ、上から草木などで迷彩されていた。しかし、敵機はこれを探知し、掩体壕を標的に西方から飛来。機銃掃射を浴びせ、後ろの山の岩戸神社上空で右旋回した。私の当時の住居(恩智中町)の北向いのお寺の上空を、西南方向の天王寺屋の変電所や大正飛行場を目がけて、機銃掃射しながら超低空で飛んだ。途中、田畑の中の肥溜めの上のセメント蓋をトーチカ(コンクリートなどで固めて作った小型の防衛用陣地)と勘違いして機銃掃射していたらしい。おそらくだが、この機銃掃射で大正飛行場に女子挺身隊として動員されていた私もよく存じていた方が被弾され、片腕をなくされた。しかし、戦後、八尾市役所で隻腕ながら健気に勤務されていた。
私たちは、空襲警報のサイレンが鳴ると、急いで外の防空壕に避難していた。ある時、恐る恐る壕から首を出して空を見た。グラマン艦載機が超低空で飛来し、パイロットの飛行帽が見えたこともあった。
また、天王の森(恩智神社の頓宮) に、兵隊が、人ひとり入れるほどの穴を数か所掘り、その中に入って上部に迷彩の覆いをかぶせ、超低空飛来のグラマン機に鉄砲を撃っていたのを見た、と古老から聞いたことがあった。
B29が大阪市内か神戸方面で爆撃を終えて東方へ飛び去っていったとき、超高度の飛行で機影の後に真っ白い飛行機雲ができたのを見た。そのときばかりは恐怖を忘れ、きれいだなあと、その美しさに見惚れてしまった。
令和7年の今日、屋上の物干しへ上っていったら、秋空の中、北の空からバンバンバンと大きなエンジン音が聞こえてきた。陸上自衛隊八尾駐屯地へ向かうヘリコプターの飛来である。私は一つ大きく息を吸って、洗濯物を干していた。
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