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六巻 ~古代のくらし【下】 「高安千塚」と「馬」~

[2021年3月5日]

ID:14002

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古代のくらし【下】「高安千塚」と「馬」

箸塚古墳出土器台に付けられた馬の像

 馬といえば、現代ではあまり身近に見ることはなくなりましたが、一昔前までは、乗馬用をはじめ、人々の生活に欠かせない大切な動物でした。それでは乗馬の風習は、いつごろから始まったのでしょうか。

 6世紀代に造られた「高安千塚(せんづか)」の箸塚(はしづか)古墳出土装飾付器台には、人物像とともに鞍(くら)を付けた馬の小像が付けられています。このほかにも大窪・山畑(やまたけ)南支群の土手山(どてやま)古墳からは、杏葉(ぎょうよう)といわれる馬の装具が出土しています。

 馬や、馬を使い慣らす技術は、5世紀ごろに朝鮮半島からわが国に伝わりました。市内の八尾南遺跡では、木製の鞍が出土しており、5世紀代の馬飼いのムラの跡と考えられています。また生駒山麓(さんろく)では、四條畷市を中心に馬飼い関係の遺跡がたくさん出土しています。これは古代、わが国の玄関口であった河内には、馬とこれに関わる技術が渡来人によっていち早く伝えられたことによるものです。

愛宕塚古墳出土の剣菱形杏葉

 6世紀代に入ると、乗馬の風習は身分の高い人を中心に広まり、馬の装具である馬具は、この時代の古墳に多く副葬されています。高安千塚のほかにも、府下最大の6世紀代の横穴式石室墳で府史跡の愛宕塚(あたごづか)古墳からは、金銅張りの子持ち剣菱形杏葉をはじめとする豪華な馬具類が出土しています。このような馬具は実用品というよりは、これを所有する人の権力を示すものであったようです。

 ところで、現代では馬といえば脚の長いサラブレットを思い浮かべますが、この当時、朝鮮半島からやってきた馬は、脚が短く背の低い蒙古(もうこ)系の馬で、現代では木曽馬(きそうま)といわれる馬が最も近いそうです。

【PDFデータ】八尾歴史物語 六巻~古代のくらし【下】 「高安千塚」と「馬」~

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