[2021年3月5日]
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天誅組をご存じですか?天誅組は尊皇攘夷(そんのうじょうい)を掲げ、主将の公卿(くぎょう)中山忠光、総裁の吉村寅太郎(とらたろう)を中心に文久3年(1863年)8月13日に、大和五条の代官所を襲い、五条御政府を開きました。
これに最年長の50歳で記録方として参加したのが伴林光平です。
光平は、文化9年(1813年)、志紀郡林村(藤井寺市)の尊光寺(そんこうじ)で生まれ、西本願寺などで仏教の修行に励み、その後、和歌や国学を学びました。
そして、33歳から16年間、若江郡(わかえぐん)成法寺村(現在の八尾市南本町)にあった教恩寺(きょうおんじ)で住職となり、顕証寺や大信寺などで歌道指南役を務め、奈良の興福院(こんぷいん)や中宮寺(ちゅうぐうじ)の歌会に参加するなどして、和歌や国学を教えていました。
【PDFファイル】二五巻 天誅組(てんちゅうぐみ)に参加した伴林光平(ともばやしみつひら)
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