[2021年3月5日]
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今回は、その善福寺に残る、大信寺から移築されたことを示すものについてお話しします。
本堂中央の屋根の前方に張り出した向拝(こうはい)と呼ばれる部分を支える柱の下部の装飾品「沓巻板(くつまきいた)」と呼ばれる銅板には、江戸時代の本堂再建の際に、この銅板を寄進した人物の名前とその在住地と考えられる「久宝寺村西町(まち)」という文字が刻まれています。
←善福寺の沓巻板(全体)
久宝寺村西町は久宝寺寺内町の中にあった町ですが、これは、大信寺がある八尾寺内町だけでなく、久宝寺寺内町にも支援者がいたことを示しています。
さらに、この銅板には、製作場所が「大坂南御堂(みなみみどう)」であると刻まれています。
江戸時代の大坂南御堂は大坂における東本願寺の拠点で、寺院に関する銅製品などを作る職人が多くいました。これらは、善福寺の本堂が大信寺から移築されたことを示す貴重な証拠です。
また、大信寺の建物で移築されたのは本堂だけではなく、山門や鐘楼(しょうろう)などが三重県桑名市の桑名別院・本統寺(ほんとうじ)に運ばれていたことも分かっています。
←寄進した人物の名前や在住地が刻まれている
【PDFファイル】三四巻 続・河内名所図会を訪ねて(6) ~大信寺の建物 その後・後編~
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