二七巻 旧植田家資料からひもとく昔のくらし 中 ~家相図編~
前回に引き続き、安中新田会所跡旧植田家住宅に残されている多くの資料のうち、今回は、「家相図(かそうず)」から見える植田家の暮らしの一端についてお話しします。
まず、「家相」と聞いて何が思い浮かびますか?
「北向きの玄関は良くない」「鬼門(北東)に台所やトイレは造らない」などでしょうか。
家相は、7世紀ごろに中国から日本へ伝わった「風水」という思想が日本独自に発展し、家の新築・増改築の際に重要視されていました。
「家相見(かそうみ)」という職業もあり、この家相見によって作られたのが家相図です。
植田家でも、江戸時代後半から明治にかけての家相図が8点残されています。
最も古いもので、文政5年(1822年)に当時の大坂で有名だった家相見の井上鶴州(いのうえかくしゅう)が作成したもので、主屋を大きく改築した時もものと考えられており、家の敷地と間取りを描いた平面図に方位を示す線と方角が書き込まれ、各部屋や井戸の場所に赤字で「吉」と書かれています。
また、付箋(ふせん)には「文政五年に着手するのは良くないので、翌年の六年から着手するように」との意見が記されています。
年代の分かる家相図は、明治5年(1872年)と明治33年(1899年)のもののほか、明治時代以降のものが5点あり、増改築のたびに、部屋の配置や工事の時期などを決めるために作成していたようです。
また、植田家の資料の中には「家相指南(かそうしなん)」と書かれた図のほか、家相や風水に関する明治・大正時代の書籍や雑誌が多数見られ、代々の当主が風水に関心を持ち、家や家族の平安を願っていた様子がうかがえます。